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野球うんちくNo.11 選手を守るラバーフェンス~一人の虎戦士の思い~

今ではほとんどの球場に採用されているラバーフェンス。

ラバーフェンスとはコンクリートフェンスにクッション製のマットを張り、選手の安全を守るフェンスのことである。

このラバーフェンス採用には、熱くも悲しい一人の虎戦士、佐野仙好の物語があった。

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1973年のドラフトに1位で阪神に入った佐野と、6位で同じく阪神に入った掛布。

1975年から二人は三塁手のライバルとして熾烈なレギュラー争いを始め、対戦相手が左投手なら佐野、右投手なら掛布。打順は気負いなく打てる8番。

お互いが一番輝ける場を当時の吉田監督は二人に用意した。

練習にしても掛布が5日で新品のバッティング手袋に穴を空けようものなら、佐野は4日で穴を空けた。

佐野が体重を2週間で1キロ上げたら、掛布は2週間で2キロ上げたとまで言われている。

手袋に穴を空けたから上手くなる訳ではないし、体重を上げたから飛距離が簡単に上がる訳ではない。

それでもお互いは何一つ負けたく無かったのだ。

しかし佐野は掛布に敗れた。

スーパースター掛布誕生には、佐野という男は必要不可欠だっただろう。

当時の監督は佐野の技術を、掛布との争いで身につけた闘志を高く評価し、レフトというポジションを佐野に与えた。

レフトで花を咲かせた佐野は1985年、当時のライバル掛布と共に日本一になる。

そんな佐野だが1975年4月29日、川崎球場で行われた大洋(現DeNA)戦、悲劇が襲う。

7対6と阪神1点リードで迎えた9回裏1死一塁。

レフトを守っていた佐野は打球を追って、コンクリート製のフェンスへ向かって飛び込む。

頭からフェンスに衝突したのだ。

闘志溢れる佐野は捕球こそしていたが動かない。

ランナーがいるためプレーは続いている。

タッチアップをしていたのだ。

キャッチャー田辺は近くにいたセンター池辺に「早く返球しろ!」とばかりに指示を出すも、池辺は佐野のグラブからボールをとろうとしない。

プレー云々より、佐野の様子が尋常じゃないことから、一刻も早く救急車を呼ぶようジェスチャーしていたのだ。

救急車がグランド内に入り、佐野を搬送する様子を当時のテレビは生中継していた。

とても衝撃的だっただろう。

症状は頭蓋骨陥没骨折。

この事故をきっかけに選手の身を守るため、プロ野球12球団すべての球場のフェンスにラバーを張ることが義務づけられた。

現在佐野は阪神タイガースの総括スカウトとして、選手時代同様、闘志を燃やしながら有望選手を探している。

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